印刷会社に就職してからずっと営業職に就き、その間6度の転勤をしました。
28年4ケ月の間には、取引先が倒産して債権者集会に出席し、人間の業の深さを見ることもありましたが、億単位の大型機械の契約を成功させたり、三重県で民間人として第一号の情報公開制度の請求者に任命されるなど多くの経験を積ませてもらいました。
しかし48歳のときから会社の将来と今後の自分の人生を考え、50歳を大きな節目として早期退職を決断しました。
自分としては織田信長が好んで舞ったと伝えられる能「敦盛(あつもり)」の「人間五十年下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり」のような感じです。
在職中から通っている放送大学で知り合った有名大学の教授から「企業人として肩書きがはずれ名刺のない状態で、いかに一人の人間として他の人と接していくことができるか」ということを教えてもらったときに深い感銘を受けました。このことは辞めてからの生き方に大きな影響を与えてくれました。
そして自分が一つの会社しか知らない世間知らずだったことを後に知ることになります。
以前聞いたある一説によると、第二次世界大戦中にアメリカ軍の兵士は戦う前にはシャワーを浴びて身体を清めたそうですが、日本軍は戦闘前に入浴はもってのほかだったとか。 その説では敗戦の理由の一つとしてそのことに触れたようですが、私はこの話を聞いたときに心機一転とは垢を落とすことだと捉えました。
現行の年金制度では支給開始は65歳なので、それまでの15年をどう過ごすか?ということを考えて、これまでに培ってきた経験の垢を落とすことに専念した1年3ヶ月でした。 そうしていよいよ就職活動を始めてすぐに、悠友知摘のセカンドキャリアサークル「YARP(ヤープ)倶楽部」に縁あって参加しました。
3ヶ月の間に4社受けた中で、現在の職が決まったのです。 これまでとはまったく異なる業種の上に、専門学校の就職相談員という職種も初めてのことだったので、仕事のイメージがつきにくく、実は不安を抱えていました。 しかしYARP(ヤープ)倶楽部で出会ったたくさんの方たちが応援してくれて、背中を押してもらいました。 また、サークルの中で昨年ミニ講演会を担当させていただいたのですが、自分の趣味である歴史について持論私説を聞いてもらう機会に恵まれ、この経験は私の転進の大きな原動力になり深く感謝しています。
私が担当する学生たちは、写真映像音響・演劇・ミュージシャンなどの分野を目指しており、就職対象もビジネス系ではなくビジュアルアーツといわれるクリエイティブな世界。 裏方として就職していく場合もありますし、俳優・音楽家としてデビューする学生もいます。 彼らに創造していくこと(クリエイティブ)と、仕事(ビジネス)とのバランスをとらせ、本人の将来の幸せも含んで考えていく就職の相談に乗っているのでやり甲斐は大きいです。
休日には悠友知摘のサロンを利用したりイベントに顔を出しますが、ここではいろいろな方にお会いできて知らなかった世界を見せていただく機会も多く、非常に勉強になります。 文豪の吉川英治氏の言葉に「我以外師」とありますが、それがぴったりの場です。 遠方からもサロンの視察に訪れる企業が多いようですが、これからの世の中の情勢をみても意義のあるサロンだと思います。
放送大学では学友会長も務めさせていただき、多くのことを学んでいます。 最高年齢82歳の男性が卒業式で皆に「今日で生まれてから何日ですか?」と尋ねたことがあります。 その方は32000日とのことでしたが、この日にち単位で人生を数える「一日一生」という考え方によって、一日一日を大切に生きることを教えていただきました。
哲学入門の先生からは「一期一会とは全力で一瞬一瞬を人に会うこと」だとも教えられました。 今後は学生たちの就職という重要な人生の転機に携わることで人という哲学について学びたいと考えおり、在籍中の放送大学でこの春から「演劇入門」と「学習の科学」という授業をとって、より学生を理解し、教育についての理論を履修していきます。 また趣味である歴史についても得意の戦国史と、明治から昭和にかけての戦前史も勉強していこうと思っています。
65歳までには13年ありますので産業カウンセリングの方面も視野にいれ、この転進を確実なものにしていくための準備を強化しながら突き進んでいるといったところでしょうか。